『びわ湖を想う』

 京都大学の近く、京都市左京区北白川で生まれ育ち、いまも家族でそこに住んでいる。父祖の代からなのでいわば「先住民」であるのだが、ここは京都の「洛中」ではなく「旧白川村」であり、この地は比叡山から大文字山にかけての東山の山々を挟んで近江の国とお隣同士の関係である。そして「山中越え」という峠道で古くから大津と結ばれていることから、人や物資が行き交う土地であった。
 そんな土地で育ったということと、もうひとつは学生ボランティアとして、またその後職員としてかかわったYMCAの活動で、さらに近江の地とびわ湖への結びつきが身近なものになった。日野川の河口近く、近江八幡市佐波江の湖畔にYMCAの教育キャンプ場があり、大学四年間の夏休みはほぼ全てそこで過ごしていた。京都からやってくる子どもたちと生活を共にしながら、水泳、カヌー、カッターなどの指導をし、また裏方として施設管理、食事提供などの仕事もした。
 子どもたちの賑やかな声が出始める前の早朝にひとりで浜に出て澄んだ空気を吸い込みながら、目の前に広がる湖面と対岸の比良の山々や、空を見上げるのは大好きだった。そんなシーンは今思い出しても清々しく、頭のなかに鮮明にイメージが広がる。
 YMCAに就職してからは草津に配属となり、京都から通う生活を三年間過ごした。ここで担当した「こどもたちの自然体験活動」が、「環境教育」というテーマと出会い、いまそれを十年ものあいだ専業の仕事としていく大きなきっかけ、原動力となっている。
 びわ湖とそれにつらなる川、田園や比良の山々などのフィールドとの出会いや、そこでのさまざまな遊びの体験が、子どもたちにとって人と自然への感性や考える力、生きる力を育んでいく、かけがえのないものであることを考えさせられる機会となったのである。
 いまもびわ湖は「こどもたちの成長の栄養素」として、さまざまな体験と学びをもたらしてくれている。このかけがえのない自然の営みが、いつまでも私たちを育みつづけてくれることを願っている。
(「長浜みーな」・巻頭エッセイ)

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