それぞれの地域で新たな一歩を

 1987年、当時私が20代はじめのころYMCAの職員として滋賀県で小学生の野外活動/自然体験のクラブをはじめたことが、「環境教育」と出会うきっかけです。月1回、琵琶湖や周辺の山々、川などへ子どもたちと出かけ、自然のなかでの仲間との体験を通じて、こどもたちの成長を願う活動でした。

 自分が行っている活動を「環境教育」ということからとらえなおしてみるとどうなっているのか、何をめざして活動していけばいいのかということを考えるようになりました。子供たちが地元の滋賀の自然と多様なかかわりを持ちながら、それを栄養素として成長していくことの大切さについても気づかされました。一方でこの地域には開発の波も押し寄せてきており、子供たちと一緒に手づかみで魚をつかんで遊んだ川も、翌年行ってみるとコンクリート護岸に変貌していたというような悲しい現実とも向き合いました。このような体験の場をつくっていくことは将来もっと重要になっていくという予感がしました。

 思い切って組織を離れて自分の力を「環境教育」に全力投球してみようと思ったのが「リオデジャネイロ地球サミット」の明くる年1993年、世の中で「環境」の重要性がしだいに認識されるようになったころでした。

 独立開業したとはいえ、当時実績もネットワークも乏しかった私には「時間」だけが資本でした。時間をかけて京都の自宅近くのフィールドを歩き、さまざまなところに顔を出して人に会うことが「投資」だったのです。なかでも自宅近くの散歩はすばらしいものでした。その季節に彩られた「自然の色」が日々かわり続けていく様子が,自分にはとても新鮮でした。勤め人のころは足元の自然の営みさえもすっかり見落としていたのでした。こんな体験がそれまでの自分と訣別して、新しい生き方を歩む決意をもたらしてくれました。

 その後何年かを経て「環境共育事務所カラーズ」の仕事は自然体験から、エコツアー、まちづくり、市民参加、ワークショップ、そして指導者の育成へとひろがって行きました。いつまでたっても「個人商店型」のスタイルは変わりませんが、仕事を通じて与えられる社会的な役割と責任はずいぶんと大きくなってきました。それはこの社会のなかで「環境教育」や「体験を通じての学び」、「市民参加」の重要性がしだいに大きくなってきたことと比例しています。

 環境教育は次の時代の新しい生き方を示し、人々に参加と行動を促しています。この本を手に取られたみなさんもどうかそれぞれの地域や学校で新しい一歩を踏み出してください。京都より応援しています。
(この文章は「つながりひろがれ環境学習—こころのエコロジー・ワークショップ2」小河原孝生編・小野三津子著/ぎょうせい 2003.7.25 に寄稿したものです。)

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