役に立たないフリーランスの話 その20. 節目をつくる

 私は環境教育の仕事をしていますが、いろんなもの、いろんな場所が学習のテーマや素材になります。こどもたちと「竹」をテーマに竹林で遊んだことがあります。竹はもともと熱帯の植物で、日本では本州がその北限なんですね。つまり北海道に竹林はありません。京都の西山は「竹の里」とも呼ばれるように竹林がたいへん美しく、京都を象徴する景観のひとつだろうと思います。
 竹というのは非常に面白い素材で、その特性を活かしていろいろなクラフトをつくることができます。また竹はたいへんユニークな植物です。地下茎によって増えていきますから、竹の一本一本ではなく、竹林それ自体がひとつの生命体なんですね。だから樹木と違って、どんどん切っても毎年毎年またすぐに生えてきます。成長のスピードも驚きですし、そして竹の若い芽、つまり筍が食用になるというのも、ふしぎなものですね。
 みなさんは竹を切り倒してみたことがあるでしょうか。竹は太いものでも、中は中空ですから、小さなノコギリがあれば簡単に切り倒すことが出来ます。とはいっても、台風なんかでは決して倒れたり、折れたりすることはありません。中は中空という構造でありながら、縦にはたいへん強い縦の繊維があり、そしてところどころに「節」があるということが、竹の強さの秘密なのだと思います。今日はこの「節」「節目」をテーマにお話したいと思います。
 竹と同様に、人間の人生にも節目が大事な役割を果たします。人格を形成したり、大きな成長を遂げていく際には、節目がいるのです。ある企業の社員教育をお手伝いしているのですが、その会社では「30歳」をひとつの節目ととらえています。
 30歳というのは大学を卒業して入社し、7〜8年たって30歳を迎えるころ。仕事はひととおりもう自分だけの力でできるようになってきます。与えられた役割は十分こなすことができるという中堅社員になってくるのです。半分以上の方は結婚をされ、家庭をもつようになり、公私ともに充実した時期でもあります。
 ところが10年後の40歳、いよいよ幹部クラスを迎えるときになって、使いものにならない人材が出てくるのです。今で言うところの「リストラ対象」にあたる人材です。この会社ではそうさせないために、その前の段階の30歳をひとつの節目と見ているのです。
 自分に与えられた役割をこなすというところから脱皮して、新たな分野や市場を開拓したりということ、また斬新な発想で仕事の仕組みそのものを変えること。チームの力を引き出して大仕事をやり遂げること。こんな変化が必要になってきます。
 そして人間そのものの器を大きくしていくことも大事です。それは社内やせいぜい取引先という中にとどまりがちな人間関係を大きく拡げていったり、非日常の体験から得た「感動」をみつめてみること。社会の中におこる変化に敏感になることなどです。
 いわばこれらは、社内だけで通用すればいい。というところから、よそから欲しがられるくらいの人物、仮に会社を出て転職をしても通用する人物になろうということでもあります。
 この会社では、この30歳での、いわば「ギアチェンジ」を促していくために8ヶ月間、現場をもちながら研修を進めていくのですが、自分自身の棚卸し、つまり在庫チェックですね。自分の技能や役割、責任、周囲の期待などを総ざらいしたり、3-4年後に目指す人物のイメージを描いてみること。社外からだれかひとり大人物を選んで、インタビューをさせてもらうこと。などなど、さまざまなワークに挑戦します。 そして一番高いハードルは、会社への成果貢献と自分の成長を両立するプロジェクトを立案し、数ヶ月の間、実行してみるという「ひと仕事」というチャレンジです。いままで4期、80名ほどの方々とおつき合いしたことになりますが、わずか一年後に目をみはるような変身ぶりや成長をとげている人もいました。
 実は、この会社の社員教育にかかわるようになったきっかけは、私自身も30歳のころ、それまで勤めていたところを退職して、私のいまの事務所をはじめたことに着目されたことからです。20代にきっちり節目をつけて、30代はそれを活かしつつも新しい仕事と生き方を展開させてきたと自分でも思っています。
 さて、気がつけばそれからちょうど10年がたっていまして、30歳の節目から、こんどは40歳の節目づくりをする時期となりました。関西風にいえばいよいよ「おっさん」となるわけですが、また新たなチャレンジをと考えています。
 学生のみなさんは、卒業そして就職ということが、おそらく次の「節目」ということになることでしょう。しかしその先にも何年か、あるいは10何年かの周期で、いくつもの「節目」をつくっていくということが大切だと思います。
 くりかえして竹の話に戻りますが、まっすぐで、長く高く、しなやかでありつつも強いという竹の秘密はいくつもの節目があるということです。
 しかしくれぐれも「中味は空っぽ」とだけは言われないようにしたいですね。
(2003.11.4 同志社女子大学チャペルアワーにて)

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