承前。
2005年の11月はじめ。今里滋先生から「ソーシャル・イノベーション研究コースの新設にあたって3名、任期付の教員(5年任期)を採用するので、その1名として加わってほしい」旨の連絡をうけたという話の続き。
ちょうど環境共育事務所カラーズの「子どもの居場所づくり」事業「あそびの達人教室」を開催しているとき、今里先生から私のケータイ電話に連絡を受けたのでした。
大学院生活の2年め。まだ修士論文を書いている途中の段階です。常識的にはありえない話です。
いわゆる学部レベルの講義は、これまでも非常勤講師として大阪薫英女子短期大学、同志社女子大学、日本福祉大学、平安女学院大学で担当してきました。
しかし自分の研究や論文執筆さえもまだまだ怪しいのに、大学院生の研究指導、論文指導などできるのかどうか。
これは大きなチャレンジになるなと思いました。でもこれは自分だけではなく今里先生にとっても大きなチャレンジだったと思います。
先生にはメールでこんな返信をしていました。
「ご連絡いただきありがとうございました。なにせ気楽な個人事業ですので、いつでも身軽に動けます。
今後のことは先生に委ねいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。準備すべきことがらがありましたら、いつでもお申し付け、お呼出しください。」
研究業績を評価していただくと言うより、社会での実務経験を評価していただいての教員採用人事ということになるわけですが、研究科に院生として在籍していた(つまり、研究科教授会で票を投じる他の先生方にも、すでに私のことがばバレてる!)だけに当時の研究科長の新川先生、そして今里先生には、ハラハラドキドキの人事案件だったのではと思います。
念のために二段階の人事案件となり、まず嘱託講師として2006年4月から採用。3月に修士学位を得た上で2006年10月から助教授(5年任期付)としての採用人事と大学院担当の人事ということで諮られたのではないかと思います。
一方で、引き続き研究を続けるべく、博士後期課程へ進学したいという意欲も沸いてきました。
ところが同志社大学では教員と学生を同時にやるわけにはいかないというルールになっています。
「他大学の大学院後期課程に」という手はないわけではないものの、教員のほうの話を進めていただくこととして、後期課程については断念せざるを得ないことになりました。
(博士学位取得に関しては後でまた書くこととします。)