オヤジ大学院生として学ぶ(2)

なぜ40歳になってから大学院に行ったのか。
(ちなみにいま48歳ですが)
「環境共育事務所カラーズ」の自営の仕事で駆け抜けてきた30代でした。
90年代前半から、21世紀への変わり目も体験しました。
10年周期で、節目をつくりたくなるというのもあります。40代はまた次のチャレンジをしたいなと。
いくつかの大学から非常勤講師に呼ばれ、大学生に「環境教育」を教える立場になったことも大きいです。
「西村さんって、どうやって環境教育を学ばれたのですか?」80年代や90年代当時にはそんなことが学べる大学などはごくわずかだったし、仕事や学会を通じて新しい知識に出会ったり、自分自身の実践から少し語れるようになったりでした。
そうやって、自分に身につけてきたものをなにかきちんとまとめたい、世間様におかえししたい。というのもありました。
YMCA勤務時代に同僚だった山本 克彦さんが、一足先に社会人大学院生をやっていたのも大きいな。かれは龍谷大学大学院の社会福祉で修論を書いていて、そこから彼も大学教員への道を歩み始めていました。
まあ、そんないろんなことがあって大学院進学を検討し始めていました。母校の同志社大学では独立大学院の「総合政策科学研究科」が社会人を積極的に受け入れているということがわかりました。
滋賀大学大学院(大津市)では環境教育のコースがありました。こちらも検討しましたが、通いやすさや、社会人推薦入試(筆記試験免除)の制度、「政策」への魅力や関心もあって、同志社大学大学院総合政策科学研究科を受験することにしたのです。

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