転載:朝日新聞『「がんばろう神戸」から「がんばろう耕英」 支援始まる』

 「がんばろう神戸」から「がんばろう耕英」へ――。岩手・宮城内陸地震で被災した宮城県栗原市を、阪神大震災のボランティアらが提供した車が走り、高齢者の足となっている。人に頼ることをためらいがちな土地柄に、新しい風が吹き始めた。
 「車を山に置いてきてしまった。移動の足がないから、うんと助かるよ」
 21日午前8時過ぎ、やけどで毎日病院に通う岩渕ミチ子さん(72)は、地元・耕英地区の「くりこま高原自然学校」のスタッフが運転するワゴン車に乗り込んだ。
 みんなに元気を出してもらいたいと、車には「がんばろう!耕英」のステッカー。ナンバーは阪神大震災の日付にちなんだ「117」だ。
 ヘリコプターで避難したため移動手段がなくなったと、学校長の佐々木豊志さん(51)がブログでもらしたところ、阪神大震災などで災害支援をしてきた長野県のNGO「ヒューマンシールド神戸」の吉村誠司さん(42)らが応じてくれた。宮城県多賀城市の「多賀城北日本自動車学院」も別に教習車2台を提供してくれた。
 95年。吉村さんは、阪神大震災の被災地へ発生4日後に駆けつけた。「もっと早く行ければ多くの人を助けられたのに」。以来、各地の被災地に駆けつけている。「中越地震の時も山間部の人は移動手段がなくて動けなかった。今回も同じ。車を届けたいと思った」
 神戸からは足湯やマッサージのサービスをするボランティアも訪れた。菅原みゑ子さん(76)は「神戸から来てくれるなんて、本当にありがたい」と語った。
 ただ栗原市は当初から、ボランティアの受け入れに必ずしも積極的ではなかった。
 ボランティアの窓口となっている市社会福祉協議会には、これまでに市外から約30件の申し入れがあったが、柔道整復師会など専門機関以外はすべて断った。
 協議会が被災者に聞いたところ、余震への不安が強かったり断水で困ったりしている人はいるものの、市内のボランティアなどで対応できていると判断したからだ。コミュニティーの結束が強い分、市職員や被災者は「よその土地の者には任せたくない」という気持ちもあったという。
 それが、地震発生から時間がたつにつれ、住民の中では少しずつ変わり始めている。
 地元でバーなどを経営する伊藤俊さん(32)は耕英地区の住民が避難している「みちのく伝創館」前で、カレーやうどんなど計300食をふるまっている。「ボランティアも、地元でやれれば一番いいが、被害を受けている人もいる。外部から力をいただけるのはありがたい」
 耕英地区振興協議会の大場浩徳会長(48)は「地震直後はショックで落ち込んでいた。でも私たちのために動いている人がいると知り、復興に向けて動き出さねばという気持ちになり始めた。そのために今は、もらえる応援は素直に受けようという気持ちです」。

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