くりこま高原自然学校被災情報26 080722

皆様

 広瀬 敏通 :発

東北地方梅雨明け翌日の20,21日の連休に「震災エコツアー」が実施されました。

名称が分かりづらいという指摘で、「復興支援エコツアー」という

名称もくっついての実施でした。

災害地という非常時、被災者の辛さを除き見る不謹慎な観光!

という批判を覚悟の実施、皆さんはどうお考えになるでしょうか。

参加者16名中、新聞記者2名、教員2名、野外教育・環境教育関係者3名

親子1組その他など、さまざまな顔ぶれでした。

参加者から、「本当に被災地に入って迷惑じゃないのか?」という

疑問も出ましたが、2日間を通して多くの地元の方々と交流し、

現地もつぶさに見て、『私たちと同じように出来るだけ多くの人に

この土地に来てほしい、見て、考えてほしい』という感想に変わりました。

被災地は日常が破壊され、胸の塞がるような状況があり、それでも

希望を生み出して立ち上がる人の姿があります。その人たちを支えるのは

行政の復興事業だけではありません。それ以上に全国の人々の友情と

支援のアクション、励ましが支えとなります。

日本では被災した土地はその後、風評被害という2重の責め苦によって、

地域の産業や観光が長期低落を強いられます。

世界でもまれな災害多発国である日本に住みながら、隣の出来事として

他人事にしてしまうわが国の国民性は、近年とみに想像力を失った

社会になってきました。それが災害地や生活弱者を追い詰めています。

「震災エコツアー(復興支援エコツアー)」は、従来、ボランティア

として覚悟を固めて行くしかなかった被災地に、より敷居を低くして

訪問することが出来る方法として始めました。

参加者には、日本人として被災地の現場から学び、気づく多くの実りが

あり、被災地にも訪問者があることで多くのメリットや支援につながります。

なにより、被災した方々との顔と顔の語らいや案内を通して、

お客以上、親友未満の関係を作り上げることも、ねらいの一つです。

今回は、佐々木さんや自然学校のスタッフの皆さん以外に、

文字地区(耕英の直下)の郵便局長さんがマイクロを運転しながら

詳細に地区を顔パスで案内してくれました。

復興の会会長の大場さんも夜、顔を出してくれ、住民の現況について話してくれまし

た。荒砥沢ダムの主、『さくらの湯』主人の大場さんは、ダムの崩壊を肉眼で見た

唯一の人でしたが、そのときの様子をありありと語ってくれました。

神戸の住人で阪神以来欠かさずボランティアをしている『ひまわりおじさん』の

荒井さんは、今回は『お茶碗プロジェクト』を組んで、耕英、花山の被災者に

まさに仮設に移るタイミングで、全国から寄せられた6〜7百箱の食器を

配り、驚くほどの流れで、食器の大きな山が消えていきました。この荒井さんの

ボランティアとしての生き方を深夜まで聞かせてもらい、みんな胸を強く

打たれたようです。今回の参加費は実費を半分に抑え、残りは支援金としました。

被災地訪問のツアーは中越や能登、福岡の震災でも組まれましたが、

今回はまだ、ボランティアの活動段階でのツアーで、被災者自身との

交流に時間を割いたツアーでした。これからの国内の災害復興支援の

スタイルの一つとして、大きく参考になると思います。

次回は8月30〜31日の土日です。

現在、立ち入りが出来ない耕英地区には入れるか否かは分かりませんが、

入れればおそらくボランティア作業も体験することになるでしょう。

耕英地区住民が入っている伝創館は21日に全員が仮設住宅などに疎開し、

避難所の閉鎖が行われました。これまでは一箇所に身を寄せて避難してきた

住民ですが、これから仮設で個々の生活に変わります。この仮設も

2年間という期限付きです。

先の見えない疎開暮らしで仮設入居は孤立の危険も過去、多くの事例が

あり、けっして、避難生活の進展とは言い切れません。

今後、私たちの創意工夫を活かした支援をつくる必要があります。

くりこま耕英の皆さんのためにではなく、明日の私たち自身のためにです。

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広瀬 敏通

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